母の愛が伝わる思い出の振袖

母の愛が伝わる思い出の振袖

高校卒業と同時に働きだした私にとって、成人式は少し戸惑いがありました。
成人式を迎えるまでもなく、もう社会人として大人に交じって仕事をしています。
成人式そのものに行きたくないとも思っていました。
しかしある日、母から一緒に出掛けようと言われ、付いていくと呉服店でした。

母は成人式の着物のことをきちんと考えていてくれたのです。母が申し訳なさそうに言葉を足しました。
「悪いけど着物を買ってあげることはできない。でも一番良いのを借りてあげるから、ごめんね」言葉通り、レンタルもしていた呉服店で、一番良い振袖を決めてくれました。
私の好きなピンクを基調とした、それでいて重みもある濃い赤もちりばめられていました。
本当に綺麗で素敵な振袖で、私はものすごく嬉しくなり、行く気もなかった成人式も、仕方ない、行ってやろうという気になっていました。
その日は洋服の上から羽織るだけにして、しかし前撮りは無しで成人式当日の一日限定でレンタルすることになりました。
その日は一日中着ていても料金は変わらないと言われ、しかも成人式後に呉服店が催すパーティーに招待してもらえました。
アルコールも料理も出るということで、もし振袖が汚れても、そのまま返却OKとのことでした。
あれほど面倒で嫌だった成人式ですが、とても待ち遠しいものに変わりました。高校時代の友達とも連絡を取り合い、成人式に一緒に行こうと約束もしました。

成人式に向けてショートカットだった髪を、切らずに伸ばせるだけ伸ばすことにして、少しでも振袖に合うように髪を結ってもらう美容院の予約も済ませました。準備万端です。数か月でしたが髪も何とか結える程度に伸び、成人式の前日は早く寝ました。翌日の美容院の予約が朝の5時だったのです。
髪だけでなく振袖の着付けとセットだったので、本当に眠い朝でしたが、何とか8時前には終わりました。
初めて身に纏った振袖はそれはそれは豪華に感じられて、本当に嬉しかったのを覚えています。
その日は朝から小雪がちらついていましたが、心は暖かかったです。成人式の会場近くが友達との約束場所だったので、そこまで父が車で送ってくれました。
そこまでは意気揚々だったのです。実は車から降りた時、私と同じように振袖を着た人が多くいたのですが、私だけが振袖だけでした。というのも雪が降る寒い日のせいか、私以外の女性は首から肩にかけて白いふわふわしたものを纏っていたのです。後からそれがファーマフラーとか首巻きと呼ばれることを知りました。
少し遅れてきた友達も、やはりその首巻きをしていました。それまで私の振袖が一番だ!と思っていた気持ちが音を立てて砕け散っていきました。
振袖よりも、あの首巻きを自分もしたかった、私以外みんなしているのに…という悲しい気持ちになりました。

成人式はなんとか出席しましたが、もうパーティーに行く気も起きず、友達と別れ、父親に迎えにきてもらいました。
迎えの車には母も乗っていて、これから写真を撮りに行こうと言います。言われるがまま付いていくと、写真館は振袖姿の人でいっぱいでした。
でも母は予約をしてくれていたようです。あまり待つこともなく、順番が来ました。
まだ悲しい気持ちを引きずっていた私でしたが、カメラマンのおじさんがメチャクチャ笑わそうとします。
別に面白くもなかったけど、笑わないと終わらないと思い、無理して笑顔を作りました。

その時は暗い気持ちの方が大きかったのです。あの頃、私は自分に自信が無くて、人と違うことが本当に嫌でした。
でも出来上がった写真を見る度に、笑顔は微妙でちっとも可愛くない顔でしたが、振袖だけはやはり見事で、胸がいっぱいになります。
母が仕事を掛け持ちしてレンタルしてくれた振袖でした。今自分が親になり、我が子へどれだけきちんと愛情を注げているだろうかと思います。
あの成人式の日、首巻きはなかったけど、母が頑張って用意してくれた振袖は写真の中だけでなく、私の心の中にもずっと残っています。


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